発達障害は欠点ではなくて個性・リソース(資質)!

ー積極的に生かすようクリエイティブに発想し行動に移すー

🪶 ひびの入った水瓶(みずがめ)の話

「どうしてわが子は、⚪︎⚪︎できないの!」
「きっと発達障害があるからだわ!」

私が担任したある自閉症の子どもは、強いこだわりがありました。
今でも思い出すのは、<筆箱の中にある鉛筆5本が、全てきちんと削れていないと気が済まない>というこだわりです。
鉛筆を1本取り出して使うわけですが、短くなってくると、2本目の鉛筆を使うのではなくて、使って短くなった鉛筆を必ず削ります。
私は、「5本鉛筆があるのは、短くなったら次の鉛筆を使うためだよ。あとでまとめて削ればいいよ。」と諭すのですが、全く聞き入れません。「まあ、人に迷惑をかけているわけでもなし、こだわりだから許容しておこう」と、私は思い直し、そのままその子のこだわりを受け入れました。

私もそうでしたが、発達障害をついついネガティブにとらえがちです。
はじめこそなんとかしようと思いますが、そのあまりの強さに、こちらの方が折れて、それを受け入れていくしかない。
そんなことになりがちではないでしょうか。

今回紹介する、『ひびの入った水がめ』の話は、ひび=欠点(障害)を受け入れるばかりでなく、それを個性としてとらえて生かすことで、むしろ長所にしてしまうというたとえ話です。
発達障害をネガティブにばかりとらえている人には、学ぶことの多いお話になるでしょう。

🔸ひびの入った水がめ

インドに水汲みの男がいました。男の仕事は、2つの大きな水がめに1本の竿を渡して肩に担ぎ、川から、ご主人様の館まで水を運ぶことでした。遠い遠い道のりでしたが、男は毎朝、丘の上の館から川まで下り、左側と右側の水がめに水を入れて運びました。
ある日のこと、いつものように長い時間をかけて水を運び、ようやくご主人様の館につくという時になって、左側の水がめが半分に減っていることに気づきました。よく見ると、その水がめにはひび割れができており、そこから水が漏れていました。次の日も、その次の日も、どんなに慎重に運んでも、左の水がめからは、ポタポタと水が滴り落ちていくので、いつも半分になってしまうのでした。その時、右側はいつも満杯でした。
そういう日が毎日続いた時に、そのひびの入った水がめは、ついにたまらなくなって、水汲み男の前に頭を下げていました。「あなたは毎日一生懸命に働いて、丘を登って水を運んでいく。けれども私の脇腹にひびが入っているために、あなたがこんなに苦労して運んでいるのに、水は半分になってしまう。あなたにこれ以上のご迷惑をおかけするくらいなら、自分なんて壊れて砕けてしまったほうがいい位なものだ」と嘆きました。
すると、男は、「いいんだよ、そんなことは心配しないで。君がいなければ、水は半分も汲めないのだから」と言って、そのまま水汲みを続けました。

それから2年が経ちました。男はやはり、行き先切って毎日水汲みをしています。そして、右側のいつもの水が満杯の水がめは得意です。けれども、左側のひびの入った水がめは、またまたいたたまれなくなってきました。水汲み男がいくら苦労しても、自分のせいで半分しか報われない、本当に申し訳ないと言う気持ちに駆られてきました。そして、もう耐えられなくなって、頭を下げて水汲み男に言いました。
「このひび割れた、なりそこないの私のせいで、あなたの努力が報われない。あなたは、一生懸命働いているのに、本当に申し訳ない。自分はなんて役立たずなんだ」と言いました。

🔸道の片側に花が

それを聞くと、男はいつものようにリズムをとりながら、2つの水がめを担いで、丘の高いところまで行き、ひびの入った水がめに言いました。
「見てごらん、どっちのほうに花が咲いているかね」
ひびの入った水がめは「自分が通った方です」と言いました。
男は言いました。
「そうだね、君が通ってきた道に花が咲いているね」
男は、それからも毎日、水を汲んでいました。

しばらくすると、再びこのひび割れた水がめはがっくり落ち込んでしまいました。
自分なんてだめです。自分なんて何の役にも立ちません。新しい水がめと取り替えてもらったほうがきっといい」そう、男に訴えました。
男は黙ってまた丘の上にその水がめをおろして、このひびの入った水がめに言いました。
「よく見てごらん。花はどこに咲いているかね」
「左側にだけ、咲いています」
「そうだ。君が通ってきた側にだけ花が咲いている。この花は君が育てたのだよ」
でも、水がめには男の言葉の意味がよくわかりませんでした。

しばらくまたそういう日が続いて、またまたこの水がめは落ち込みました。いくら男に慰められても、ひびの入った水がめの隣には、いつも傷ひとつなく、完全に見える水がめがいるので、落ち込んでしまい、毎日のように「自分なんて…自分なんて…自分なんて…」と言い続けていました

そして再び、水汲み男にいました。
「自分なんてだめです」
男は言いました。
「私は、君のひび割れに気づいてもあえて変えなかった。なぜなら、その個性を生かそう、役立てようと考えたからだ。ここは雨の降らない土地だから、花を育てるには骨が折れる。だが、君なら、川から館までの道をちょうど良い具合に湿らすことができる。君と毎日水汲みに行けば、この道を花でいっぱいにできるだろう、きっとご主人様も喜ぶに違いない、そう考えたのだ。それで道に花の種をまいた。君は知らないうちに、その種に毎日、毎日水を与えていたんだよ。君がいたから、あんなに見事な花が咲いたのだ。おかげで、私はこの2年間、ご主人様に水だけでなく、きれいな花まで毎日届けることができた。もちろん、ご主人様はとても喜んで過ごされた。これこそ君のひび割れなしには、成し得なかったことだ」と言いました。

🔸ひび割れがあったからこそ

改めてこのひびの入った水がめは、自分がいつもいつも巡っていた、丘の小路の左側に、ずっと咲いていた花を見ました。その美しさに本当に生まれて初めて目が覚めたような思いでした。こんなにも美しいものが世の中にあるのかと感じ、それに自分が少しでも貢献しているという喜びが、胸いっぱいに溢れてきました。長い間「自分はダメだ」と思い続けていたことが、いかに馬鹿げたことであったか初めて分かりました。そして、こんな見事な花を咲かせることができたひび割れのある自分、そんな自分をいとおしく感じました

黙って2人の話を聞いていた右側の水がめが言いました。
私は君のように水をまくことはできない。だから、花を咲かせることもできない。なんて君は素晴らしいんだ。満杯の水を運ぶことができる私こそ完全だと思っていたけれども、私は花を咲かせることができないというひび割れを持っているんだ」と言いました。

このお話の最後は、こう結ばれています。

私たちは、それぞれ自分だけのひび割れを持っています。私たちは、皆、ひび入り水がめなのです。神の摂理のもとに必要でないものは何もないのです。

『ひびの入った水がめ』鈴木秀子氏の講演記録を載せたコミュニオン通信創刊号May1999年より引用

🪶 ひびの入った水瓶の話に学

人は誰しも「ひび割れ」ー欠点ーをもっています。発達障害児について言えば、まさに<発達障害=ひび割れ>と言ってもいいでしょう。たとえば、「水をどれだけたくさん運べるか」を、テストでどれだけ良い点数が取れるかになぞらえた人もいたかもしれません。

水汲みの男は、ひび割れを欠点あるいは障害のようなマイナスと見ないで、それを個性・リソース(資質)ととらえました。そして、その個性・リソースを生かそうと考えました。

水汲みの男も、ひびの入った水瓶も、ご主人様に役立ちたいという願いをもっていました。少しずつ漏れる水のところに花のタネを巻けば、きっと美しい花が咲き、それをご主人様に届けることができる。そう考え、実行したのです。実にクリエイティブな発想です!

そして、そのひびあるがゆえに、美しい花を咲かせることができた自分に気づいた時、ダメな自分だと思っていたひびの入った水がめは、初めて自分を愛おしいと思えたのです。

ここから親や教師は、「ひび割れ」(欠点・障害)に対してどのようなスタンスを取ると良いかがわかります。

最悪のスタンス・対応は、「ひび割れ」を責めることです。
「どうしてお前は半分しか水を運べないの!」
こう言って責めることですね。
本人はどうしようもなくて自分を責めているのに、傷に塩を塗る対応で、百害あって一利なしです。
ともすれば、本当に自分から岩にぶつかって粉々になるかもしれません。

穏当なスタンス・対応は、「ひび割れ」を慰めることです。
このお話でもはじめ、水汲みの男は「いいんだよ、そんなことは心配しないで。君がいなければ、水は半分も汲めないのだから」と言って、慰めています。
ただ、それでも、ひびの入った水がめは、隣の完璧な水がめを比べてしまい、自分はダメだと自己嫌悪に陥ってしまっています。「比べなければいいのに!」と思いますが、完璧な水がめがいつも自分の隣にいるのです。ついつい比べてしまうのは、無理のないことでしょう。

最高のスタンス・対応は、「ひび割れ」をネガティブにとらえないで個性・リソース(資質)としてとらえ、それ生かすことです。
これこそ親や教師がとるべきスタンス・対応でしょう。
ひびの入った水がめの、ご主人様に役立ちたいという願いを叶えるべく、水汲みの男は、花のタネを蒔いたわけです。
この段階に至って初めて「ひびの入った水がめ」は、自らを積極的に肯定し愛おしく思えるようになったのです。
そして、「ひび割れ」を欠点ではなくて、長所として見ることができるようになったのです。

実際、発達障害は悪いばかりではありません

たとえば、自閉症・アスペルガーの発達特性である「こだわり」については、次のような事例があります。

🔸あいさつが返ってくるまであいさつを続けるAさん
こだわりの強いアスペルガーのAさん、職場ではあいさつをきちんとすると教わってきました。ですから、必ず元気よくあいさつをします。それだけではありません。相手があいさつを返すまで、繰り返し繰り返しあいさつをします。
ですから、相手も折れてあいさつを返します。

実は、この会社の社長さんは、職場のあいさつが良くないと困っていました。
ところが、Aさんが来てから職場のあいさつが目に見えて良くなりました。というのは、Aさんは、相手があいさつを返すまであいさつをするので、根負けした相手があいさつを返すようになったからです。その結果、職場のあいさつがすっかり良くなったのです。

🪶 必死に考えて得たアイデアを実際に行動に移し、かつ行動し続ける強さが必要!

ここまで書いてきて、一方では「そんなに簡単なことではないな」と正直思います。
水汲みの男も、はじめはなんとか水漏れを防ごうと、ひび割れを修復しようと考えたと思うのです。
何かをひび割れに詰めたりして、少しでも水漏れを減らせないかと頑張ってみたと思うのです。
それでもうまくいかない。そこで、「まあ、半分でも運べるからいいか。」と、ひび割れを受け入れたと思うのです。

しかし、「自分はダメだ!自分なんて壊れて砕けてしまったほうがいい」とまで言うひびの入った水がめのために、なんとかしてあげたい!と、水汲みの男は必死になって考えたと思うのです。「なんとかご主人様の役に立ちたいと切望するひびの入った水がめの願いを叶えてやりたい!と。
必死になって考えた結果、ある時「ひび割れ」を生かして花を育てることを思いついたと思うのです。

もちろん、思いついただけではダメです。その後、花のタネを用意して、道沿いの土を耕したはずです。そして、実際にひびの入った水がめが水を落としていく道沿いに花のタネを蒔いたというわけです。毎日毎日タネを蒔いた場所に水が落ちるように気をつけながら運んだはずです。

この段階で、ある手記を思い出しました。息子が自閉症の母親の手記なのですが、その母親は、「ご飯が食べられれば心配ないだろう」と考えて、農業を始めたのです。(実際、単純作業の繰り返しは自閉症の人に向いています)そして、数年後、収穫したお米でおにぎり屋を開いたのです。「おにぎり屋なら、自閉症の息子でも働けるだろう」と考えてです。

今ある発達障害を生かせる場を創る! そう決心して豊かに発想し実際に行動すれば、道は開けていくと思います。

🪶 追記「ひび入った水瓶の話」と「ひび割れ壺の話」

1999年5月のコミュニオン通信に、鈴木秀子氏の講演の中で紹介された『ひびの入った水瓶』という物語が掲載されました。
数年後、菅原裕子著『子どもの心のコーチング』の「おわりに」の中では『ひび割れ壺』という題名でほぼ同じ話が掲載されています。お二人とも、知り合いからのお便りで知ったお話として紹介されています。

とても素敵なお話なのですが、今回はひと足さきに紹介した、聖心女子大学教授/国際コミュニオン学会会長/国際エニアグラム・カレッジ代表(掲載時)の鈴木秀子氏のお話を紹介しました。

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